どうせ叶わない恋ならなおさら
上手な愛し方 他にあるのに
窓に置いた本がはらり
風に頁めくられ
月にあらわ晒されてる
救いのない最後の場面
いつでも優しい君に会いたい
「気の合う友達」
君が言うならそれで
無邪気に惹かれ騒ぐ
僕の心を
憎めばいいんだろう
好きになりたくなかった
暗い部屋の隅ぼんやり光る
液晶に浮かぶ 君のアドレス
夜更け過ぎに話すほどの
特別な話題など
昨日までも今日からも
僕にはおもいつけないで
泣きたくなれば君を想う
君を想ったら
また泣けてしまうから
切ない記憶ひとつひとつ
白くて冷たい
吐息に消して
何も最初からなかった
誰もが君の笑顔見つめ
僕だけうつむき
君のスニーカー見つめる
それでもそばにいられるなら
微妙な距離さえ
愛おしくて
いつでも優しい君に会いたい
「気の合う友達」
君が言うならそれで
無邪気に惹かれ騒ぐ
僕の心を
憎めばいいんだろう
好きになりたくなかった
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Winter's manにー、
22歳の昭仁さんの声にー、
Tamaの曲にー、
犯 さ れ て る !!!
ダメだ…ッッ汗
きゅんきゅんしスギで死にそうorzハァハァ
今日なんて1日中着うた流しながら生活してたら満タンだった電池が3回も落ちた(笑)
こんな『音楽に襲われてる感』は久しぶりだ(*´ロ`)あはん
22歳の昭仁さんの声にー、
Tamaの曲にー、
犯 さ れ て る !!!
ダメだ…ッッ汗
きゅんきゅんしスギで死にそうorzハァハァ
今日なんて1日中着うた流しながら生活してたら満タンだった電池が3回も落ちた(笑)
こんな『音楽に襲われてる感』は久しぶりだ(*´ロ`)あはん
ポルノが22歳、1996年(デビュー3年前)にカセットテープで配られたやつなんだけど、いいんだわー。たぶん声にちょっと加工(?)入ってると思う。
22歳で幼いっていう言い方はおかしいけど、今の昭仁の声とはやっぱりちょっと違うわ。
うちは着うたでサビのトコロしか聞いたことないけどそれでもこの曲いい!って思った。
Winter's man 作曲シラタマ 作詞アキヒト
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
As if about you 優しい目してる 孤独が売り物のあなたは
You will see clear sky 冷たさ身に染みてる
No!奇麗事も無しで白く Beautiful white
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
野蛮な炎に 君を染めて 祈り迫る 変わってゆくから
As if about you 瞬間探してる 休みのベッドの上での逃げ道を
And winter's man全て 枯れたあなたの為に
ow!少しだけあげよう 冷たさに Freezer power
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
22歳で幼いっていう言い方はおかしいけど、今の昭仁の声とはやっぱりちょっと違うわ。
うちは着うたでサビのトコロしか聞いたことないけどそれでもこの曲いい!って思った。
Winter's man 作曲シラタマ 作詞アキヒト
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
As if about you 優しい目してる 孤独が売り物のあなたは
You will see clear sky 冷たさ身に染みてる
No!奇麗事も無しで白く Beautiful white
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
野蛮な炎に 君を染めて 祈り迫る 変わってゆくから
As if about you 瞬間探してる 休みのベッドの上での逃げ道を
And winter's man全て 枯れたあなたの為に
ow!少しだけあげよう 冷たさに Freezer power
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
飾り気のない絶望の街の中で
鮮やかに 孤独の淵さ迷い続ける
華やかな この愛という雪の中で
悲しみが まだら模様で浮き上がる
あーもー、やっぱしいい曲(ノ∀`)b
ボクのそばにはずっと地球でいう月のように
廻ってる星がある その名も「惑星キミ」さ
強烈な重力でボクを引き寄せてゆく
ふわふわと満ちてゆく感情は無重力
深く深く刻まれたクレーター
そこには二人の記憶があるのさ
惑星 OF THE LOVESICK STAR
キミにとってボクは青く見えているかな?
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっと変わらない距離で二人は居られる
惑星 OF THE LOVESICK STAR
夜にはいくつもの顔で魅せられていたい
惑星 OF THE LOVESICK STAR
いつもボクを惑わせて
恋が彗星のように通り過ぎてくこともあった
「またいつか会える」なんて そんなロマンスはいらないんだ
出逢いなんて星の数だけあるなんて言うけど
ボクにとってキミにとってそれは ひとつでいいだろ?
すべてが吸い込まれてしまうブラックホール
そこには二人の異空間がある
惑星 OF THE PREMIER STAR
誰にも邪魔されることはないはずだから
惑星 OF THE PREMIER STAR
もっと大きく黄金色に輝いて
惑星 OF THE PREMIER STAR
息が苦しくなるほどのキスをかわそう
惑星 OF THE PREMIER STAR
ずっとボクを惑わせて
深く深く刻まれたクレーター
そこには二人の記憶があるのさ
惑星 OF THE LOVESICK STAR
キミにとってボクは青く見えているかな?
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっと変わらない距離で二人は居られる
惑星 OF THE LOVESICK STAR
夜にはいくつもの顔で魅せられていたい
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっとボクは離れない
ボクのそばにはずっと地球でいう月のように
廻ってる星がある その名も「惑星キミ」さ
強烈な重力でボクを引き寄せてゆく
ふわふわと満ちてゆく感情は無重力
深く深く刻まれたクレーター
そこには二人の記憶があるのさ
惑星 OF THE LOVESICK STAR
キミにとってボクは青く見えているかな?
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっと変わらない距離で二人は居られる
惑星 OF THE LOVESICK STAR
夜にはいくつもの顔で魅せられていたい
惑星 OF THE LOVESICK STAR
いつもボクを惑わせて
恋が彗星のように通り過ぎてくこともあった
「またいつか会える」なんて そんなロマンスはいらないんだ
出逢いなんて星の数だけあるなんて言うけど
ボクにとってキミにとってそれは ひとつでいいだろ?
すべてが吸い込まれてしまうブラックホール
そこには二人の異空間がある
惑星 OF THE PREMIER STAR
誰にも邪魔されることはないはずだから
惑星 OF THE PREMIER STAR
もっと大きく黄金色に輝いて
惑星 OF THE PREMIER STAR
息が苦しくなるほどのキスをかわそう
惑星 OF THE PREMIER STAR
ずっとボクを惑わせて
深く深く刻まれたクレーター
そこには二人の記憶があるのさ
惑星 OF THE LOVESICK STAR
キミにとってボクは青く見えているかな?
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっと変わらない距離で二人は居られる
惑星 OF THE LOVESICK STAR
夜にはいくつもの顔で魅せられていたい
惑星 OF THE LOVESICK STAR
ずっとボクは離れない
非公式ファンサイト様からくすねてきた記事(?)なんだけど、やっぱり音楽で食ってくって大変なんだね。
【1974年】
4月27日 Tama誕生
9月20日 新藤晴一誕生
10月15日 岡野昭仁誕生
【1981年】
小学校入学。晴一とTamaは同じ小学校に通う。
■小学校の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
とにかくワンパク小僧でケガをすることも度々…。
-晴一-
比較的社交的。絵を描いたり漫画を書いたりするのが好きだった。
-Tama-
少し恥ずかしがりやだったが、活発に遊ぶ。
【1983年】
小学校卒業。
中学校入学。晴一とTamaは同じ中学に通う。
■中学生の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
サッカー部に入部。サッカー大好き少年に。
-晴一-
「バービーボーイズ」を聴いたのをきっかけにバンドというものに興味を持つ。
-Tama-
意外にもサッカー部に入部。中3の時に通販でギターを購入。
【1990年】
中学校卒業。
昭仁と晴一は因島高校に入学。Tamaは愛媛の弓削高専に入学。
■高校入学の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
引き続きサッカー部に入部。サッカー大好き青年に。
-晴一-
洋楽を聞くようになる。坊主のくせに髪の毛が赤かった。
-Tama-
同じ学校の友達とコピー・バンドを組む。
晴一、「バービーボーイズ」に憧れて7万円のソプラノサックスを購入。サックスを吹きながらヴォーカルに憧れ、同じ高校にいたイトコをギター担当にし、杏子さん役の女の子もいれてツイン・ヴォーカルのバンドを組む。
【1991年】
昭仁、カラオケボックスにて晴一にコーラスのスカウトをされる。文化祭にて「バービーボーイズ」をコピー。昭仁のコーラスは『カモーン』の一言だけだった。文化祭後、晴一の歌がどれほど下手だったのか定かではないが、イトコにボソッと「お前ギターやらん?」と言われ、ギターに転向。それに伴い、昭仁はメイン・ヴォーカルに昇格。さらに杏子さん役の女の子とも付き合い始めた。
【1992年】
新入生歓迎のスプリングコンサートで、昭仁メイン・ヴォーカルデビュー。ちょうどその時因島高校のベースが受験で抜けTamaに晴一のイトコから声がかかる。ちなみにTamaはすでにギターからベースに転向していた。Tamaが入ったことによって、「文化祭に他校の生徒が参加するのはダメ」と教官に反対されたりもしたが、最後にはなんとか説得。無事文化祭にて演奏。
ここでポルノグラフィティの原型が生まれた。ただし、この時のバンド名は「ノー・スコア」
【1983年】
昭仁と晴一は無事因島高校を卒業。卒業式の後にも「せっかくだから」とライブをやらせてもらっていた。Tamaはまだ高専に在学中。
昭仁→晴一の順に島を出る。Tamaは高専の4年生に進級。
■その頃のメンバーの様子…
-昭仁-
現役では大学には入れないと思い、浪人。大阪に出てきて代々木ゼミナールの寮に入る。その年の夏までは一生懸命勉強していたが、いつしか寮の友達と遊び歩くようになる。音楽を一番聴いてたのもサッカーが一番うまかったのもこの時らしい。
-晴一-
広島県の福山市にある専門学校に入るが、2ヶ月くらいで辞める。次に生まれたのは「大阪に行ってバンドをやる」という考えだった。Tamaとヴォーカルを探すためのオーディションなどもしたがうまくいかず、「やはり昭仁とやりたいな」という気持ちが固まっていく。
-Tama-
晴一や同じ学校の人ともバンドを組んだりして、コンテストなどにも出場。ある大会ではベスト・ベーシスト賞を取ったりと、才能に満ち溢れていた。
ちなみに学校はサボりまくっていた。
晴一とTamaは数々のコンテストに出場。なかなかの良い成績を収め、プロというもの意識するようになる。
Tama、大阪の音楽学校に行ってもっと音楽を勉強したいと思い、4年で高専を辞める。晴一がTamaに「大阪行くなら一緒に住もうと誘い、年末には2人暮らしができるところを見つけた。来年の2月には大阪に出ようと言っていたがその部屋は4月まで空かないことが判明。
【1994年】
Tamaは大坂に出ることについて、親との交渉がうまくいかず、喧嘩ばかりしていてついに家出を決意。すでに大阪に住んでいた「ノー・スコア」のメンバー、サカタ君の家に4月まで居候させてもらう。
晴一も大阪に進出。Tamaと2人で同居生活を始める。昭仁は補欠合格でなんとか大阪の大学に受かった。
■その頃のメンバーの様子…
-昭仁-
大学に入学。しかしちゃんと通っていたのは最初の一ヶ月だけで、その後はだらだらと生活するようになる。
-晴一-
マスターがシンガーソングライターのお店でバーテンのバイトを始める今後のバンド活動のために信頼を得ようと頑張って仕事をする。
-Tama-
音楽学校に通う。延々と出される宿題をひたすらやり、「ベースで日本一になってやろう」と気合は充分。
ついに「ポルノグラフィティ」のバンド活動開始。Tamaの学校のドラム科の人を入れて4人で活動する。梅田のバナナホールにて初ライブ。お客さんは30人くらいだった。古川橋のウッドペッカーにてライブ。アットホームな雰囲気だったとか。
デモ・テープを録り始める。とても適当な録り方だったらしい。全3曲入りテープをライブハウスに持ち込んだり、レコード会社に送ったりした。が、なかなか上手くいかず…
【1995年】
大阪の南港で行われた野外イベントに参加。それがきっかけでソニーの新人発掘の“ケヤムラさん”に名刺をもらう。晴一の電話番号を教え、その夜電話がかかってきて大喜び。ただし、そのあと“ケヤムラさん”は練習スタジオに一回来ただけだった。
大阪の城天でもライブをやり始める。前のソニーの事もあって、自信満々でライブをしていた。二丁目劇場でもライブをやり始める。お笑いライブの合間に出て、外ではライブ宣伝のチラシなどを配ったりした。
一緒にやっていた城天チームの4バンドで江坂ブーミンホールにてイベントを開催。城天は大坂や神戸のバンドが多く、今までなんとなく“よそもの感”があったポルノグラフィティだが、このイベントの時に「僕らは島っ子よ~」とジェームス・ブラウンの『セックスマシーン』の替え歌披露。それがとてもウケて、だんだんお客さんと打ち解け始める。この時からファンは段々に増えていった。フリーバンドという小さなライブハウスで初のワンマンライブ。この時からドラム担当のメンバーが変わった。
チケットは100円。雨が降ったらタダ。お客さんは80人ぐらいで、12~13曲披露。トークショーなどもやったらしい。
ここからどんどんバンド活動に力が入っていく。この頃はとにかく人を集めようと必死だった。月10数本のライブを重ねる。
【1996年】
昭仁、大学を3年生になる時に辞める。
ミューズホールにて2回目のワンマンライブ。お客さんは250人くらい。着実にファンは増えていった。
数々のコンテストに出場する。だが、どれも優勝まであと一歩というところで敗退。
BSヤングバトルに出場。全国大会までいったが、賞は取れず。この頃、「ポルノは今が絶頂だから」と言われつづけ、悔しい思いをしていた。
【1997】
どのコンテストに出ても優勝することが出来ず、光が見えなくなっていた。
「もう解散しようか」と思っていたが、このときに心斎橋クラブ・クアトロでワンマンライヴをすることが決定。
さらに、ソニーのケヤムラさんから連絡が。「3月に東京でSDオーディションがあるから受けてみないか」、と声がかかった。
「最後にやってみようか」とメンバーは決心する。
東京にてSDオーディションを受ける。
結果は・・・“所属決定”!!
もちろん解散説は消滅。「もう1回ちゃんとバンドをやってみよう」と、心新たに決意する。
Tamaの23回目の誕生日、心斎橋クラブ・クアトロにてワンマンライヴ。ソニーが「イベンターとかケータリングつけようか?雑誌に告知打とうか?」と言ってくれたが、「全部自分たちの手でやることが目標」と言い、それを断る。チケットは2800円。お客さんはなんと、550人も来ていた。プレッシャーもなく、とても良いライヴだったらしい。お客さんも暖かい雰囲気で“送り出してあげよう”としてくれた。
所属事務所が決定。
やっと東京へ行けることに。が、3人とも張り切りすぎて、家に入れる1日前に到着。荷物はいったん事務所の倉庫に入れてもらい、1日だけ知り合いの家に泊まることになった。翌日には無事入居。
■やっと東京へ来れた、その頃のメンバーの様子…
―昭仁―
東京の街を歩くときはとても緊張したらしい。「このよそもんが」みたいに見られてる感じがしたとか。
―晴一―
まず事務所に驚く。受け付けからエレベーターから部屋の間取り図から・・・
―Tama―
最初事務所にひとりで行くのがとても嫌だった。中を覗いてほかの2人がまだ来てなかったら、来るのを待って一緒に入ったり。
キーボードとドラムのサポートメンバーが入り、東京を楽しむ暇もないくらいの忙しい生活が始まる。このサポートメンバーの2人からはアーティストとしてすごく影響を受けたとか。この時の3人の“代表的な1日の流れ”は、朝6時ごろに寝て、昼3時ごろに起きて、5時くらいから事務所でミーティング・・・という生活だった。ミーティングの後はスタッフについていき、飲むことが多かった。バイトは禁止。1ヶ月に27日間は生きていかれるような微妙な金額のお給料をもらっていた。あとの3,4日はスタッフ頼みでなんとか生活。このような生活が続く中で、喜びや楽しみというものはほとんどなかったという。上京してからの1年はバンドとしての答えが出なくてずっと迷よい続けた。
【1999年 】
1月に『アポロ』のレコーディング。
北関東のツアーが終了。
1月22日 北関東のツアー後、大阪のネスト・サールンでワンマンライヴ。小さいライヴハウスだったが、お客さんは200人くらい入り満杯。久々に良いライヴができた、と思えたらしい。
アミューズの会長も見に来ていて、褒めてもらえたとか。
1月29日 大阪に引き続き、東京の渋谷オンエア・ネストでもワンマンライヴ。こちらもお客さんは満杯。
Tamaが曲を書いて昭仁が詞を書いた『マイナスの感情』という曲の紹介で、昭仁が「僕たちが煮詰まってた時に出来た曲です。聴いて下さい。『マイナスの感情』・・・」というとってもネガティブなMCをしたのはこのライヴ。
1月~3月 ひたすらレコーディングの日々。
4月までには1stアルバムの収録曲のほとんどを録り終えていた。
3月~ 1時間のラジオのパーソナリティーを始める。が、この年の10月で終了。
すっごく高いテンションで喋るくせして、会話のキャッチボールはできていなかったという。
4月 デビュー予定は4月だったが、「7月の何日かになった」と言われる。でも結局は9月まで延びた。
7月 デビューに向けていよいよ忙しくなる。取材などもこの時くらいから徐々に始まった。
新人なのに多くの雑誌掲載にTV番組出演にと、とても恵まれていた。
9月5日 音楽番組「HEY!HEY!HEY!」の収録。デビュー前に録った、一番大きな番組だったらしい。
9月8日!! ついに1stシングル『アポロ』リリース!!念願のメジャーデビューを果たす!!!!
【1974年】
4月27日 Tama誕生
9月20日 新藤晴一誕生
10月15日 岡野昭仁誕生
【1981年】
小学校入学。晴一とTamaは同じ小学校に通う。
■小学校の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
とにかくワンパク小僧でケガをすることも度々…。
-晴一-
比較的社交的。絵を描いたり漫画を書いたりするのが好きだった。
-Tama-
少し恥ずかしがりやだったが、活発に遊ぶ。
【1983年】
小学校卒業。
中学校入学。晴一とTamaは同じ中学に通う。
■中学生の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
サッカー部に入部。サッカー大好き少年に。
-晴一-
「バービーボーイズ」を聴いたのをきっかけにバンドというものに興味を持つ。
-Tama-
意外にもサッカー部に入部。中3の時に通販でギターを購入。
【1990年】
中学校卒業。
昭仁と晴一は因島高校に入学。Tamaは愛媛の弓削高専に入学。
■高校入学の頃のメンバーの様子…
-昭仁-
引き続きサッカー部に入部。サッカー大好き青年に。
-晴一-
洋楽を聞くようになる。坊主のくせに髪の毛が赤かった。
-Tama-
同じ学校の友達とコピー・バンドを組む。
晴一、「バービーボーイズ」に憧れて7万円のソプラノサックスを購入。サックスを吹きながらヴォーカルに憧れ、同じ高校にいたイトコをギター担当にし、杏子さん役の女の子もいれてツイン・ヴォーカルのバンドを組む。
【1991年】
昭仁、カラオケボックスにて晴一にコーラスのスカウトをされる。文化祭にて「バービーボーイズ」をコピー。昭仁のコーラスは『カモーン』の一言だけだった。文化祭後、晴一の歌がどれほど下手だったのか定かではないが、イトコにボソッと「お前ギターやらん?」と言われ、ギターに転向。それに伴い、昭仁はメイン・ヴォーカルに昇格。さらに杏子さん役の女の子とも付き合い始めた。
【1992年】
新入生歓迎のスプリングコンサートで、昭仁メイン・ヴォーカルデビュー。ちょうどその時因島高校のベースが受験で抜けTamaに晴一のイトコから声がかかる。ちなみにTamaはすでにギターからベースに転向していた。Tamaが入ったことによって、「文化祭に他校の生徒が参加するのはダメ」と教官に反対されたりもしたが、最後にはなんとか説得。無事文化祭にて演奏。
ここでポルノグラフィティの原型が生まれた。ただし、この時のバンド名は「ノー・スコア」
【1983年】
昭仁と晴一は無事因島高校を卒業。卒業式の後にも「せっかくだから」とライブをやらせてもらっていた。Tamaはまだ高専に在学中。
昭仁→晴一の順に島を出る。Tamaは高専の4年生に進級。
■その頃のメンバーの様子…
-昭仁-
現役では大学には入れないと思い、浪人。大阪に出てきて代々木ゼミナールの寮に入る。その年の夏までは一生懸命勉強していたが、いつしか寮の友達と遊び歩くようになる。音楽を一番聴いてたのもサッカーが一番うまかったのもこの時らしい。
-晴一-
広島県の福山市にある専門学校に入るが、2ヶ月くらいで辞める。次に生まれたのは「大阪に行ってバンドをやる」という考えだった。Tamaとヴォーカルを探すためのオーディションなどもしたがうまくいかず、「やはり昭仁とやりたいな」という気持ちが固まっていく。
-Tama-
晴一や同じ学校の人ともバンドを組んだりして、コンテストなどにも出場。ある大会ではベスト・ベーシスト賞を取ったりと、才能に満ち溢れていた。
ちなみに学校はサボりまくっていた。
晴一とTamaは数々のコンテストに出場。なかなかの良い成績を収め、プロというもの意識するようになる。
Tama、大阪の音楽学校に行ってもっと音楽を勉強したいと思い、4年で高専を辞める。晴一がTamaに「大阪行くなら一緒に住もうと誘い、年末には2人暮らしができるところを見つけた。来年の2月には大阪に出ようと言っていたがその部屋は4月まで空かないことが判明。
【1994年】
Tamaは大坂に出ることについて、親との交渉がうまくいかず、喧嘩ばかりしていてついに家出を決意。すでに大阪に住んでいた「ノー・スコア」のメンバー、サカタ君の家に4月まで居候させてもらう。
晴一も大阪に進出。Tamaと2人で同居生活を始める。昭仁は補欠合格でなんとか大阪の大学に受かった。
■その頃のメンバーの様子…
-昭仁-
大学に入学。しかしちゃんと通っていたのは最初の一ヶ月だけで、その後はだらだらと生活するようになる。
-晴一-
マスターがシンガーソングライターのお店でバーテンのバイトを始める今後のバンド活動のために信頼を得ようと頑張って仕事をする。
-Tama-
音楽学校に通う。延々と出される宿題をひたすらやり、「ベースで日本一になってやろう」と気合は充分。
ついに「ポルノグラフィティ」のバンド活動開始。Tamaの学校のドラム科の人を入れて4人で活動する。梅田のバナナホールにて初ライブ。お客さんは30人くらいだった。古川橋のウッドペッカーにてライブ。アットホームな雰囲気だったとか。
デモ・テープを録り始める。とても適当な録り方だったらしい。全3曲入りテープをライブハウスに持ち込んだり、レコード会社に送ったりした。が、なかなか上手くいかず…
【1995年】
大阪の南港で行われた野外イベントに参加。それがきっかけでソニーの新人発掘の“ケヤムラさん”に名刺をもらう。晴一の電話番号を教え、その夜電話がかかってきて大喜び。ただし、そのあと“ケヤムラさん”は練習スタジオに一回来ただけだった。
大阪の城天でもライブをやり始める。前のソニーの事もあって、自信満々でライブをしていた。二丁目劇場でもライブをやり始める。お笑いライブの合間に出て、外ではライブ宣伝のチラシなどを配ったりした。
一緒にやっていた城天チームの4バンドで江坂ブーミンホールにてイベントを開催。城天は大坂や神戸のバンドが多く、今までなんとなく“よそもの感”があったポルノグラフィティだが、このイベントの時に「僕らは島っ子よ~」とジェームス・ブラウンの『セックスマシーン』の替え歌披露。それがとてもウケて、だんだんお客さんと打ち解け始める。この時からファンは段々に増えていった。フリーバンドという小さなライブハウスで初のワンマンライブ。この時からドラム担当のメンバーが変わった。
チケットは100円。雨が降ったらタダ。お客さんは80人ぐらいで、12~13曲披露。トークショーなどもやったらしい。
ここからどんどんバンド活動に力が入っていく。この頃はとにかく人を集めようと必死だった。月10数本のライブを重ねる。
【1996年】
昭仁、大学を3年生になる時に辞める。
ミューズホールにて2回目のワンマンライブ。お客さんは250人くらい。着実にファンは増えていった。
数々のコンテストに出場する。だが、どれも優勝まであと一歩というところで敗退。
BSヤングバトルに出場。全国大会までいったが、賞は取れず。この頃、「ポルノは今が絶頂だから」と言われつづけ、悔しい思いをしていた。
【1997】
どのコンテストに出ても優勝することが出来ず、光が見えなくなっていた。
「もう解散しようか」と思っていたが、このときに心斎橋クラブ・クアトロでワンマンライヴをすることが決定。
さらに、ソニーのケヤムラさんから連絡が。「3月に東京でSDオーディションがあるから受けてみないか」、と声がかかった。
「最後にやってみようか」とメンバーは決心する。
東京にてSDオーディションを受ける。
結果は・・・“所属決定”!!
もちろん解散説は消滅。「もう1回ちゃんとバンドをやってみよう」と、心新たに決意する。
Tamaの23回目の誕生日、心斎橋クラブ・クアトロにてワンマンライヴ。ソニーが「イベンターとかケータリングつけようか?雑誌に告知打とうか?」と言ってくれたが、「全部自分たちの手でやることが目標」と言い、それを断る。チケットは2800円。お客さんはなんと、550人も来ていた。プレッシャーもなく、とても良いライヴだったらしい。お客さんも暖かい雰囲気で“送り出してあげよう”としてくれた。
所属事務所が決定。
やっと東京へ行けることに。が、3人とも張り切りすぎて、家に入れる1日前に到着。荷物はいったん事務所の倉庫に入れてもらい、1日だけ知り合いの家に泊まることになった。翌日には無事入居。
■やっと東京へ来れた、その頃のメンバーの様子…
―昭仁―
東京の街を歩くときはとても緊張したらしい。「このよそもんが」みたいに見られてる感じがしたとか。
―晴一―
まず事務所に驚く。受け付けからエレベーターから部屋の間取り図から・・・
―Tama―
最初事務所にひとりで行くのがとても嫌だった。中を覗いてほかの2人がまだ来てなかったら、来るのを待って一緒に入ったり。
キーボードとドラムのサポートメンバーが入り、東京を楽しむ暇もないくらいの忙しい生活が始まる。このサポートメンバーの2人からはアーティストとしてすごく影響を受けたとか。この時の3人の“代表的な1日の流れ”は、朝6時ごろに寝て、昼3時ごろに起きて、5時くらいから事務所でミーティング・・・という生活だった。ミーティングの後はスタッフについていき、飲むことが多かった。バイトは禁止。1ヶ月に27日間は生きていかれるような微妙な金額のお給料をもらっていた。あとの3,4日はスタッフ頼みでなんとか生活。このような生活が続く中で、喜びや楽しみというものはほとんどなかったという。上京してからの1年はバンドとしての答えが出なくてずっと迷よい続けた。
【1999年 】
1月に『アポロ』のレコーディング。
北関東のツアーが終了。
1月22日 北関東のツアー後、大阪のネスト・サールンでワンマンライヴ。小さいライヴハウスだったが、お客さんは200人くらい入り満杯。久々に良いライヴができた、と思えたらしい。
アミューズの会長も見に来ていて、褒めてもらえたとか。
1月29日 大阪に引き続き、東京の渋谷オンエア・ネストでもワンマンライヴ。こちらもお客さんは満杯。
Tamaが曲を書いて昭仁が詞を書いた『マイナスの感情』という曲の紹介で、昭仁が「僕たちが煮詰まってた時に出来た曲です。聴いて下さい。『マイナスの感情』・・・」というとってもネガティブなMCをしたのはこのライヴ。
1月~3月 ひたすらレコーディングの日々。
4月までには1stアルバムの収録曲のほとんどを録り終えていた。
3月~ 1時間のラジオのパーソナリティーを始める。が、この年の10月で終了。
すっごく高いテンションで喋るくせして、会話のキャッチボールはできていなかったという。
4月 デビュー予定は4月だったが、「7月の何日かになった」と言われる。でも結局は9月まで延びた。
7月 デビューに向けていよいよ忙しくなる。取材などもこの時くらいから徐々に始まった。
新人なのに多くの雑誌掲載にTV番組出演にと、とても恵まれていた。
9月5日 音楽番組「HEY!HEY!HEY!」の収録。デビュー前に録った、一番大きな番組だったらしい。
9月8日!! ついに1stシングル『アポロ』リリース!!念願のメジャーデビューを果たす!!!!
いい曲だ…(泣)
知らない人が大半だと思うけど、この曲はポルノのライブのアンコールで必ず最後に歌う曲なんだ。
2004年のデビュー5周年目前に脱退しちゃったTamaが19歳のときに作った曲。
それを今でも変わることなく2人になっても歌ってくれてる。
それはやっぱし嬉しいことだよね。
『ポルノグラフィティは2人』ってゆうのが当たり前になってきちゃったけど、元々は『3人』でやってきたし、3人でつちかってきたモノもたくさんあった。
3人から2人になったときに「じゃぁTamaが作った曲はもう歌わんようにしよう」じゃ悲しすぎる。
昭仁も晴一もいろんな思いで今もTamaの曲を歌ってるんだと思う。し、あたしもそう思いたい。
脱退して自分の音楽を求め、さらに1人の父親になったTamaは活躍してる2人を見てどんなふうに思ってるんだろう。
少なくとも『ポルノグラフィティ』を脱退した事を後悔して欲しくはない。
ポルノだった頃に比べて活躍の場は減った。
でも、昭仁も晴一もTamaに脱退なんてして欲しくなかったと思う。だけどTamaの希望を優先して実現した『脱退』なんだから。
頑張れTama。
もっと活躍してうちらを安心させてくれ。
戻って来てほしいって思ってるけど、戻ってきてほしくないんだよ。
知らない人が大半だと思うけど、この曲はポルノのライブのアンコールで必ず最後に歌う曲なんだ。
2004年のデビュー5周年目前に脱退しちゃったTamaが19歳のときに作った曲。
それを今でも変わることなく2人になっても歌ってくれてる。
それはやっぱし嬉しいことだよね。
『ポルノグラフィティは2人』ってゆうのが当たり前になってきちゃったけど、元々は『3人』でやってきたし、3人でつちかってきたモノもたくさんあった。
3人から2人になったときに「じゃぁTamaが作った曲はもう歌わんようにしよう」じゃ悲しすぎる。
昭仁も晴一もいろんな思いで今もTamaの曲を歌ってるんだと思う。し、あたしもそう思いたい。
脱退して自分の音楽を求め、さらに1人の父親になったTamaは活躍してる2人を見てどんなふうに思ってるんだろう。
少なくとも『ポルノグラフィティ』を脱退した事を後悔して欲しくはない。
ポルノだった頃に比べて活躍の場は減った。
でも、昭仁も晴一もTamaに脱退なんてして欲しくなかったと思う。だけどTamaの希望を優先して実現した『脱退』なんだから。
頑張れTama。
もっと活躍してうちらを安心させてくれ。
戻って来てほしいって思ってるけど、戻ってきてほしくないんだよ。
借りちゃった。レンタル半額だったし。
ついに念願の「BABY BABY」が聞けた(悦)
このアルバムって後半になるにつれていい曲になってる気がする。
うちにとってはね(´∀`;)
やばい!!!レィディオが始まってしまった!!!!!
ついに念願の「BABY BABY」が聞けた(悦)
このアルバムって後半になるにつれていい曲になってる気がする。
うちにとってはね(´∀`;)
やばい!!!レィディオが始まってしまった!!!!!
CD欲しいなぁ。
Where is the moment we needed the most
You kick up the leaves and the magic is lost
They tell me your blue skies fade to grey
They tell me your passion's gone away
And I don't need no carryin' on
You stand in the line just to hit a new low
You're faking a smile with the coffee you go
You tell me your life's been way off line
You're falling to pieces everytime
And I don't need no carryin' on
Cause you had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
The camera don't lie
You're coming back down and you really don't mind
You had a bad day
You had a bad day
Well you need a blue sky holiday
The point is they laugh at what you say
And I don't need no carryin' on
You had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
The camera don't lie
You're coming back down and you really don't mind
You had a bad day
(Oh.. Holiday..)
Sometimes the system goes on the blink
And the whole thing turns out wrong
You might not make it back and you know
That you could be well oh that strong
And I'm not wrong
So where is the passion when you need it the most
Oh you and I
You kick up the leaves and the magic is lost
Cause you had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
You've seen what you like
And how does it feel one more time
You had a bad day
You had a bad day ohhh
You had a bad day
Had a bad day ohhh yea yea yea yea
Had a bad day ohhhhh oh yea
Had a bad day ahhhhhh lalala
Had a bad day ahhhhhh oh yea
Where is the moment we needed the most
You kick up the leaves and the magic is lost
They tell me your blue skies fade to grey
They tell me your passion's gone away
And I don't need no carryin' on
You stand in the line just to hit a new low
You're faking a smile with the coffee you go
You tell me your life's been way off line
You're falling to pieces everytime
And I don't need no carryin' on
Cause you had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
The camera don't lie
You're coming back down and you really don't mind
You had a bad day
You had a bad day
Well you need a blue sky holiday
The point is they laugh at what you say
And I don't need no carryin' on
You had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
The camera don't lie
You're coming back down and you really don't mind
You had a bad day
(Oh.. Holiday..)
Sometimes the system goes on the blink
And the whole thing turns out wrong
You might not make it back and you know
That you could be well oh that strong
And I'm not wrong
So where is the passion when you need it the most
Oh you and I
You kick up the leaves and the magic is lost
Cause you had a bad day
You're taking one down
You sing a sad song just to turn it around
You say you don't know
You tell me don't lie
You work at a smile and you go for a ride
You had a bad day
You've seen what you like
And how does it feel one more time
You had a bad day
You had a bad day ohhh
You had a bad day
Had a bad day ohhh yea yea yea yea
Had a bad day ohhhhh oh yea
Had a bad day ahhhhhh lalala
Had a bad day ahhhhhh oh yea
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